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壽光寺の縁起

当山は元禄8年(1695)の創建で、開山は静岡県芝川町にある西山本門寺第二十一世日意聖人であります。時は江戸時代、内府経秀公の母、円観院殿妙悦日遊大姉が祈願所として諸堂を建立したのが始まりです。創建当時は小橋(現在の天王寺区玉造)に位置し、士族(武士)を中心に教化されていました。三百年を越える歴史の中で、西山系の中本山として、当山の歴代は西山本門寺へ晋山されていました。また、壽光寺は桜寺として近隣はもとより広い地域においてその名を馳せていました。大正13年に諸般の事情により小橋の地より中浜へ移転し、当時の伽藍のまま移築しました。 境内総敷地は約七百坪を有し、第二十八世威徳院日正上人の代に本堂、山門・客殿・書院・庫裏の伽藍をはじめ、境内墓地・前庭園・中庭園・参道・駐車場整備と寺観が一新されました。各庭園・参道には、四季を感じられる樹木等が境内を彩り、前庭園には元録期の石水受け、参道入口には享保期の石灯籠が現在も保存されています。 平成7年の阪神大震災により本堂大屋根・内陣部及び永代伺堂へ雨漏りの甚大なる被害を受けました。平成8年に晋山式が行われ現住職(第二十九世日寛)に法燈が継承され、平成10年より立教開宗七五〇年慶讃事業として、本堂大屋根修復工事・納骨堂の整備・お題目宝塔の建立の三本柱を中心に事業を勧め、壇信徒有縁の絶大なる力により、平成13年に無事完成致しました。 平成19年には現住職(第二十九世日寛)が日蓮宗大荒行三百日修行中、大黒相承を相伝し、成満後城東中浜大黒天として新たに壽光寺に大黒福寿尊天を勧請する事を許されました。また同じく、三面大黒天(大黒天・毘沙門天・弁財天の三つの顔を持つ大黒天)も寺宝としてお祀りして、年に一度の大黒祭に御開帳致しています。 当山安置の日蓮聖人像は元録期以前の仏像にて四百年にのぼる祖師像であり、身延山久遠寺安置の祖師像と同じ読経像です。更に当山には、日蓮聖人御真筆の大曼荼羅御本尊はじめ、千日尼御返事の断片等の御書、六老僧の一人で 白蓮阿闍梨日興上人の御本尊等、多くの寺宝が現在も格護し、年一回宗祖ご入滅お会式の際に、お風入れを行なっております。